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August 25, 2026

二百十日とは?|風を警戒する暦の厄日と、風を鎮める祭「おわら風の盆」を、はじめての方にやさしく解説

二百十日とは?|風を警戒する暦の厄日と、風を鎮める祭「おわら風の盆」を、はじめての方にやさしく解説

9月1日。カレンダーには何も書かれていないその日に、日本の古い暦は二百十日(にひゃくとおか)という名前をつけています。

立春から数えて、ちょうど210日目。昔の人はこの日を「風の厄日」として警戒しました。そして富山の山あいの町では、この日に合わせて、風を鎮めるための祭が今も続いています。おわら風の盆——2026年も9月1日から3日間、開かれます。

数字を数えただけの日が、なぜ祭になったのか。そっとたどってみます。

この記事でわかること

  • 二百十日は、立春から210日目を指す暦の目印「雑節」のひとつだということ
  • 稲の開花期と台風の季節が重なるため「農家の厄日」とされたこと
  • 実際の気象データでは「台風の特異日」とまでは言えない、という正直な話
  • 富山・八尾の「おわら風の盆」が、この日に風を鎮めて豊作を祈る祭だということ
  • 祭の起源には諸説があること
  • 夏目漱石がこの日を題名にした小説を書いていること
  • 今日、暦を持っていなくても二百十日に触れられること

二百十日とは——数えるだけの暦

二百十日は、雑節(ざっせつ)と呼ばれる暦の目印のひとつです。雑節とは、春分や秋分のような中国生まれの節気とは別に、日本で暮らしの必要から生まれた暦日のこと。節分、八十八夜、入梅などが仲間です。

決め方はとても単純で、立春(2月4日ごろ)から数えて210日目。それだけです。2026年は立春が2月4日なので、二百十日は9月1日にあたります。年によって8月31日や9月2日になることもあります。

お茶の記事で紹介した八十八夜(立春から88日目・茶摘みの目安)と、数え方はまったく同じです。日本の暦には、こうして「立春から数える」目印がいくつも置かれています。

なぜ「厄日」なのか

210日目のころ、田んぼでは稲が花を咲かせ、実をつけはじめます。一年の労働がようやく形になる、いちばん大事な時期です。

そこへ、台風の季節が重なります。収穫を目前にした稲が、一晩の風で倒れてしまう。昔の農家にとって、これほど恐ろしいことはありませんでした。だからこの日は厄日(やくび)——用心すべき日として暦に刻まれ、八朔(はっさく・旧暦8月1日)、二百二十日(にひゃくはつか・立春から220日目)とあわせて「農家の三大厄日」と呼ばれてきました。

天気予報のなかった時代、暦そのものが防災情報だったわけです。

正直な話——台風は、その日に来るわけではない

ここは正直に書いておきます。気象データを集計した記事によると、1991年から2022年までの32年間で、二百十日にあたることが多い9月1日に台風が日本へ上陸した例はゼロでした。「台風の特異日」と呼ぶには、根拠が薄いのです。

ただし、その前後——8月末から9月上旬は、たしかに台風の上陸が多い時期にあたります。つまり二百十日は「その日にかならず台風が来る日」ではなく、「このあたりから警戒せよ」という季節の合図として読むのが、実態に近いようです。

ピンポイントでは外れているのに、季節の感覚としては当たっている。昔の暦の面白さは、こういうところにあります。

風を鎮める祭——おわら風の盆

この二百十日に合わせて開かれるのが、富山市八尾(やつお)のおわら風の盆です。毎年9月1日から3日まで。2026年は9月1日(火)〜3日(木)に行われます。

名前に「盆」とつきますが、8月のお盆行事とは別のもの。収穫前の稲が風の被害に遭わないように、風を鎮めて豊作を祈る——そう伝えられる祭です(名前の由来には、地元で休みの日を「ぼん」と呼んだからという説もあります)。

祭のあいだ、坂の町にぼんぼり(紙の灯籠)がともり、11の町がそれぞれの衣装で、細い通りをゆっくり踊り歩きます。これを町流し(まちながし)といいます。踊り手は深い編笠で顔を隠し、無言のまま。三味線と太鼓にまじって、胡弓(こきゅう)——弓でこすって鳴らす、日本では珍しい弦楽器——の細い音が夜の町に流れます。にぎやかに盛り上がる祭というより、静かで、少し切ない祭です。

起源には諸説あります。元禄15年(1702年)、町の大切な文書「町建御墨付」を町衆が取り戻した祝いに三日三晩踊り明かしたのが始まり、という言い伝えがよく語られますが、唄の名「おわら」の由来ひとつとっても、「おおわら(大藁)」説、「小原村の娘が唄い始めた」説などが並びます。はっきりしたことは、わかっていません。わかっているのは、風を警戒するこの日に、300年以上踊りが続いてきたことだけです。

漱石も、この日を書いた

ひとつ豆知識を。夏目漱石に『二百十日』という小説があります(1906年発表)。二人の青年が、まさに二百十日の日に阿蘇山の噴火口を目指し、嵐に遭う話です。漱石自身が熊本時代の1899年9月1日に阿蘇登山を試み、嵐で断念した体験がもとになっているとされます。

タイトルが日付だけで、日本の読者には「荒れる日だ」と伝わる。二百十日という言葉が、それだけ暮らしに根づいていた証拠でもあります。

今日、そっと触れるには

二百十日に触れるのに、暦の本はいりません。

9月1日、天気予報をひらいてみてください。台風の情報が出ていたら——あるいは出ていなくても——「今日が二百十日か」と思い出す。それだけで、210日を数えて空を見上げていた昔の人と、同じ方向を見たことになります。

もし9月のはじめに富山へ行く機会があれば、夜の八尾を歩いてみてください。胡弓の音は、写真にも動画にも、うまく収まらない種類の音です。

おわりに

二百十日は、何かが起こる日ではありません。何かが起こるかもしれないから、そなえて、祈る日です。

データで見れば、その日に台風はほとんど来ていない。それでも人びとは210日を数え、風を鎮める踊りを続けてきました。当たり外れでは測れない、季節に向き合うための作法が、この日には残っています。

まもなく9月。風の音が変わりはじめる頃です。