2026年10月8日
「足袋の日」とは?|10月8日——茶席の白足袋はなぜ白く、なぜ玄関で履きかえるのか。祭りの地下足袋からタイヤまで

今日、10月8日は「足袋(たび)の日」です。
足袋は、親指とほかの指のあいだで二つに分かれた、日本の履きもの。着物のとき、草履(ぞうり)や下駄の鼻緒をはさむために、こういう形をしています。茶室の畳の上で、お祭りの神輿(みこし)の下で、相撲の土俵のそばで——足袋は、いまも日本文化のあちこちで、足もとを静かに支えています。
この記事の話はひとつだけ。足袋は「そこに入る直前に、履きかえるもの」ということです。茶席の足袋が白いのは、おしゃれだからではなく、玄関で清潔なものに替えて入るから。お祭りの地下足袋(じかたび)も、その日のために履きかえるもの。この「履きかえる」という小さな動作のなかに、日本の文化が場所をどう大切にしてきたかが見えてきます。
この記事でわかること
- 足袋とは何か。なぜ指が二つに分かれているのか
- 10月8日が「足袋の日」になった理由
- 茶席の足袋はなぜ白いのか、なぜ履きかえるのか
- 革から木綿へ——足袋の形ができるまで
- 足袋の町・行田(ぎょうだ)と、足袋から生まれた地下足袋とタイヤの話
足袋とは——指が二つに分かれた「袋」
足袋は、足にはく袋、という字のとおり、布でできた足のカバーです。靴下に近いものですが、親指と残りの四本の指が分かれていて、かかとの後ろ側を「こはぜ」という小さな金具(爪のような形の留め具)で留めます。
指が分かれているのは、草履や下駄の鼻緒(はなお=足の甲を押さえるひも)を、親指と人差し指のあいだではさむため。足袋は、日本の履きものといっしょに形が決まっていったのです。
色はいくつかあります。礼装(れいそう=あらたまった場の装い)では白。男性のふだん使いには紺や黒が標準とされてきました(世界大百科事典)。茶席で見るのは、ほとんどが白足袋です。
10月8日が「足袋の日」になった理由
「足袋の日」は、足袋をつくる会社の団体である日本足袋工業会が、1988年(昭和63年)に定めた記念日とされています。10月は七五三やお正月を前に和装の機会が増える季節であること、「八」が末広がり(下に向かって広がる=縁起がよい形)であることから、10月8日になったと説明されています。
服装の記事でも触れたとおり、茶会の案内では「白い靴下や足袋の着用」がマナーとして挙げられることが多く、秋の茶会シーズンと足袋の季節は重なります。詳しくは茶道の服装の記事をご覧ください。
茶席の足袋は白——そして、履きかえる
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
和装小物店いばせんの茶道マナーの解説には、茶道では茶室を清浄に保つために、足もとには白足袋か白い靴下を着用するのがマナーとあります。そして、清潔な白足袋や白い靴下を会場に持参して、茶室に入る直前に履きかえることもある、と続きます。
和樂webの初心者向け記事も同じことを、もう少し言葉を足して説明しています。白い靴下は家から履いていくのではなく、到着してから履きかえる。裸足だと畳を傷めるし、外を歩いてきたものとは違う、清潔な靴下に替えて茶室に入る——その心構えが大事なのだ、と。
つまり、茶席の足袋が白いのは「白が正装の色だから」だけではありません。外の世界を歩いてきた足もとを、いちど玄関でリセットして、清潔なもので畳に上がる。白は、その「替えたばかり」であることが、自分にも相手にも見える色なのです。
はじめての茶会で着物を持っていなくても、白い靴下を一足かばんに入れておけば、この動作はできます。東京都の大規模な茶会「東京大茶会」の参加案内でも、白い靴下や足袋の着用がマナーとして紹介される一方、「何も用意せずに参加できる」とも書かれています。できる範囲で、でいいのです。流れははじめての茶会の記事にまとめています。
ちなみに、茶の湯と木綿の足袋には古い縁があります。世界大百科事典によれば、木綿の足袋は、千利休の弟子として知られる武将・細川(長岡)三斎の母が、茶事に出るたびに履いたのが始まりといわれています。茶道では木綿の足袋を「数寄屋(すきや)足袋」と呼び、革の足袋は使わなかった、とも。茶室は、足袋の素材の歴史とも、意外に深くつながっているのです。
革から木綿へ——足袋の形ができるまで
いま私たちが見る足袋は、最初からこの形だったわけではありません。
辞典類によれば、足袋はもともと革でつくられていました。10世紀ごろの辞書『和名抄』にすでに記載があり、「単皮(たんぴ)」という古い表記は、鹿革の半靴に由来するとされます。平安時代の「襪(しとうず)」という足のおおいを前身とする説もあります(世界大百科事典)。
指が二つに分かれた形がいつ生まれたかは、資料によって書き方が少し違います。日本大百科全書は鎌倉時代の末に、草履や草鞋(わらじ)に便利なつまさきの分かれた足袋が生まれたとし、室町時代に形が確立したとする解説もあります。ここは「鎌倉末から室町のころ」と、幅をもって覚えておくのがよさそうです。
大きな転機は江戸時代でした。日本大百科全書によれば、1657年(明暦3年)の江戸の大火(明暦の大火)のあと、革が不足して値段が急に上がり、革の代わりに木綿が使われるようになりました。肌ざわりがよく、洗える木綿の足袋は庶民に広まっていきます。そして世界大百科事典によれば、宝永年間(1704〜1711年)には、足首の短い「こはぜ掛け」の足袋が流行しました。火事と革不足という、まったく文化的でない理由が、いまの白くてやわらかい足袋を生んだ、ともいえます。
足袋のまち、行田
足袋の産地として知られるのが、埼玉県の行田市です。財務省の広報誌『ファイナンス』の自治体紹介によれば、行田の足袋づくりは江戸中期に武家の内職として始まり、天保年間(1830〜1844年)には27軒の足袋屋があって産地として成り立っていました。明治期に工場とミシンが入って生産が急増し、1938年(昭和13年)には年間8,400万足のピークを記録。全国の生産の約8割を占めたと紹介する資料もあります。
足袋を保管した倉庫「足袋蔵(たびぐら)」は、いまも市内に約80棟が残り、2017年(平成29年)4月には「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」として、埼玉県内で初めて文化庁の日本遺産に認定されました。足袋蔵のひとつは「足袋とくらしの博物館」になっていて、昔の工場のようすを見ることができます。
祭りの足もと、地下足袋——そして、タイヤへ
足袋には、もうひとつの顔があります。底にゴムを貼って、そのまま外を歩ける地下足袋です。お祭りで神輿を担ぐ人、太鼓の山車(だし)を引く人、とび職の人たちの足もとに、いまも使われています。地面の感触が足に伝わり、指で踏みしめられるのが、好まれる理由として挙げられます。
地下足袋の生まれた町は、福岡県の久留米市。久留米市文化財保護課のまとめた年表によれば、久留米には「つちやたび」と「志まや(のちの日本足袋)」という二つの足袋の会社があり、つちやたびが1922年(大正11年)にゴム底を貼りつけた地下足袋の試作に成功して生産を始め、日本足袋も1923年(大正12年)に製造を始めました。翌1924年には両社のあいだで特許をめぐる争いが起き、その翌年に和解しています。「誰が最初に発明したか」をひとりに決めるのは、少しむずかしい歴史なのです。
そして、この話には有名な続きがあります。日本足袋を経営していた石橋徳次郎・正二郎の兄弟は、地下足袋で培ったゴムの技術をタイヤに向けました。1931年(昭和6年)、日本足袋のタイヤ部が独立して「ブリッヂストンタイヤ株式会社」が生まれます。いまの株式会社ブリヂストンです。社名は「石橋」を英語にひっくり返した Bridge-Stone。つちやたびは現在のムーンスター、日本足袋は現在のアサヒシューズへとつながります。
茶席の白足袋と、世界を走る自動車のタイヤ。遠く離れているように見える二つが、「足袋」という同じ袋から出てきたと知ると、足袋の日がすこし広く感じられます。
おわりに
足袋は、履きかえるもの。茶室に入る前に、お祭りに出る前に、その場所のために足もとを替える。白足袋の白さは、「いま替えてきました」という、相手へのしるしでもあります。
はじめての茶会に行くなら、白い靴下を一足、かばんに入れていってみてください。玄関で履きかえるその数秒が、茶室に入る気持ちを、少しだけ切りかえてくれます。
出典
- コトバンク「足袋」(精選版 日本国語大辞典/改訂新版 世界大百科事典/日本大百科全書:『和名抄』に記載・古くは革/「単皮」は鹿革の半靴に由来・襪を前身とする説/鎌倉末に二つに分かれた足袋/明暦の大火後に革不足で木綿へ/宝永年間に「こはぜ掛け」が流行/木綿足袋は長岡三斎の母が茶事に履いたのが始まりといわれる・数寄屋足袋/礼装は白・男性ふだんは紺や黒)
https://kotobank.jp/word/足袋-94080 - いばせん「茶道の持ち物」(茶室を清浄に保つため白足袋か白い靴下/清潔なものを持参して茶室に入る直前に履きかえることもある)
https://www.ibasen.co.jp/pages/2305_sado_bring - 和樂web「初めてのお茶会で必要な持ち物」(白い靴下は到着してから履きかえる/裸足は畳を傷める/清潔な靴下に替えて茶室に入る心構え)
https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/2552/ - 東京大茶会 公式「参加方法」(白い靴下や足袋の着用がマナー/何も用意せずに参加できる/時計・指輪を外す)
https://tokyo-grand-tea-ceremony.jp/join.html - ベストカレンダー「足袋の日(10月8日)」(日本足袋工業会が1988年に制定/10月は和装シーズン前・8は末広がり)
https://bestcalendar.jp/dates/kinenbi/4114 - 財務省『ファイナンス』2025年4月号「第62回 埼玉県行田市」(江戸中期に武家の内職として始まる/天保年間に27軒/昭和13年に年間8,400万足のピーク/約80棟の足袋蔵/平成29年度に日本遺産認定・45の構成文化財)
https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202504/202504m.html - トラベルボイス「文化庁、2017年の日本遺産を発表」2017年4月28日(「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」)
https://www.travelvoice.jp/20170428-87981/ - 久留米市 文化財保護課「歴史のまち久留米 ストーリーシート9 近代くるめとゴム産業関係年表」2023年3月(つちやたび:1920年研究開始・1922年試作成功と生産開始/日本足袋:1923年地下足袋製造開始/1924年特許紛争・翌年和議/1931年 日本足袋タイヤ部からブリッヂストンタイヤ株式会社が独立/現ムーンスター・現アサヒシューズ)
https://www.city.kurume.fukuoka.jp/1080kankou/2015bunkazai/3050kurumeshishi/files/storysheet9-1.pdf - 株式会社ブリヂストン「歴史」(1930年 日本足袋タイヤ部で第1号タイヤ誕生/1931年 久留米市にブリッヂストンタイヤ株式会社を設立)
https://www.bridgestone.co.jp/corporate/history/
「足袋の日」の制定団体と年は、記念日のまとめサイトの記述によるもので、団体の一次資料は確認できていません。木綿足袋と細川三斎の母の話は、世界大百科事典が「といわれている」と書いている伝承で、この記事でもそのように扱いました。指の分かれた足袋の成立時期は、辞典が鎌倉末とし、ほかの解説が室町とするなど資料で揺れがあるため、幅をもって書いています。行田の「全国の約8割」という数字は複数の紹介記事にありますが、財務省の記事には年間生産量のみで全国シェアの記載はないため、「紹介する資料もあります」としました。地下足袋の発明者を一人に特定する記述は、久留米市の年表が両社をほぼ同時期として並べていることから避けています。