意味
「平常心」は、ここでは「落ち着いた心」や「あわてない心」というより、作為のない、ふだんのままの心を指すと解されます。悟りや道は、どこか遠い特別な場所にあるのではなく、日常の心そのものにある、という立場を表すことばです。スポーツの場面で言われる「平常心」とは、少し意味合いが違います。
出どころ
公案集『無門関(むもんかん)』第十九則に見えます。趙州が師の南泉普願(なんせんふがん)に「道とは何か」と問い、南泉が「平常心是道」と答えた、という問答です。さらに趙州が「それに向かって進んでいいのか」と問うと、南泉は「向かおうとすれば、そむく」と答えたと記されています。求めれば離れる、という逆説が、このことばの核にあります。
今日の暮らしで
「ちゃんとしよう」と力が入ったときほど、うまくいかない。そういうときに「ふだんのままでいい」と自分に言うためのことばとして使えます。背伸びをやめる許可、のようなものです。
参考にした資料
- 『無門関』第十九則(平常是道)
このページは禅の教義を解説するものではなく、ことばが一般にどう読まれているかを紹介するものです。解釈は宗派や指導者によって異なります。