意味
「只管」はひたすら、「打坐」は坐ること。何かの目的のための手段として坐るのではなく、坐ること自体がそのまま仏の姿である、という曹洞宗の坐禅の立場を表すことばです。集中力をつけるため、ストレスを減らすため、といった入口をいったん閉じるところに特徴があります。
出どころ
曹洞宗の開祖・道元(どうげん)が中国から伝えた坐禅の姿勢を指すことばで、曹洞宗の公式サイトは「ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません」と説明しています。道元の『普勧坐禅儀』には「いわゆる坐禅は習禅には非ず(禅の練習ではない)」という一節があります。
今日の暮らしで
坐禅をしなくても使えることばです。散歩のために散歩する。料理のために料理する。「〜のために」を外して、そのことをそのこととしてやる時間を、一日に五分つくる。
参考にした資料
- 曹洞宗 曹洞禅ネット「曹洞宗の坐禅」 https://www.sotozen-net.or.jp/propagation/zazentop
- 道元『普勧坐禅儀』
このページは禅の教義を解説するものではなく、ことばが一般にどう読まれているかを紹介するものです。解釈は宗派や指導者によって異なります。